「寂しい」を感じる

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「私は寂しいと感じることがありません。」と人に言うと、大抵、驚かれます。
厳密には、寂しく思うことや、寂しく感じることが無くなった、と言うのが正解です。

きっかけはもちろんあって、とある出来事がきっかけで、私は人生で一番落ち込みました。
精神的にどん底で、3日位?一週間ぐらい?忘れてしまいましたが、それなりの日数、泣き暮らしました。

それでも、どん底の底まで落ちると、あとは浮上するだけです。

どん底まで落ちたお陰で、人は真にひとりなのだ、ということを実感することが出来、その経験以降、寂しく感じることが無くなりました。

これは私のケースであって、どん底を経験した誰もが浮上出来るとは限りませんし、どん底を経験しても寂しさを感じる人はいると思います。

とは言え、私の体感からすると、寂しさを感じるうちは、落ち込みはしたものの、どん底までには至っていないように感じます。

逆に、ひとりで居れば感じない寂しさもあります。

恋人同士や夫婦など、真に理解し合いたい人が身近に居ても、相手に背を向けられた場合や、手を差し伸べて貰えない場合に感じる孤独は寂しさだと思います。

この場合は二人だからこそ強調される寂しさなので、むしろひとりでいる方が寂しさは感じないでしょう。

言いたいのは、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく存在である、ということです。

ひとりで生きることが前提の存在なのです。

とは言え、何かを成し得ていくには協同することが必要で、その場合、その時々に見合った関係を、都度、築いていけば良いのです。

自分の寂しさを埋める為に誰かを必要とするのは、表現を変えれば、自分の為に他人を利用しているとも言えます。
利用されるのを心地良いと思うのは共依存関係にある人であり、健全な関係ではありません。

私は互いに心地良く付き合える関係は腹六分と心得ます。
自立し、自律した人間であれば、腹六分でも心地良く、気持ち良く、付き合っていけるものです。
逆に、腹六分で気持ちよく付き合えない人は、どれだけ年齢を重ねた人であっても、人間的に成熟しているとは言えないと考えています。

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