因→縁→果 1

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以前、「お釈迦様の手の上の孫悟空になったような気分」と書いたことがあります。
そしてまた最近、ダメ出しをされたように、似たような目に会いました。

私は産土神を誕生時に住んでいたところの氏神と考えています。
ある時、産土神に挨拶に行こうと考え、両親に私の生まれた頃の住所を聞いたのですが、すでに忘れてしまっていて、おおよその住所しかわかりませんでした。

その住所付近には2つの神社があり、熟慮の結果、片方に当りを付け訪問しました。
行ってみると、特に何の感慨も湧かず、外したかな?とも思いました。

そして、その神社には近くに別当寺があったので、そちらにも行ってみると、この別当寺の方がしっくり来ました。
江戸時代までは神仏習合だったので、管理元のこちらの方が私にとっての産土神かもな~…と考え、ご挨拶をしてその日は終わりました。

そして時は流れ、現住居の近所に、とあるお寺があります。
とりあえず、ここでは某寺と表記します。

その某寺の案内の看板はよく目にするものの、さして興味は湧かなかったので、行こうとは考えませんでした。
ただ私の誕生時、生家の信仰する宗教に入信する際に、受戒を受けた寺社名と同一だったので、親近感は持っていました。(宗派は異なります)

ある時、ふと、この某寺に行ってみようという氣になり、行き方を調べるついでに、某寺についても調べてみました。
すると、その某寺に祀られている仏像が、元々は上記別当寺で安置されていたもので、別当寺が改宗する際に譲り受けたものであることがわかりました。
更に、この仏像も因縁を感じさせるものだった為、ただもう、参りました、と素直に頭を垂れるしかありませんでした。

この出来事のお陰で、どこに住居を構えようが、私は自身の因縁の範疇に居を構えることになる、ということに気付かされました。
これはどのような選択をしようが、因縁の範疇からは抜け出せない・逃れられない、ということを意味しています。

例えば、家系の因縁と言うと、おどろおどろしい印象を受けますが、”家系的な遺伝的体質”と言い方を変えれば、がんの家系だったり、糖尿病の家系だったり、精神疾患の家系だったり等ありますが、そのような「素因」を持って生まれて来る、というのは、なんとなく理解できるのではないでしょうか。

疾病的な体質だけでなく、性格傾向にも特性を持つ家系もあります。
これは生育環境にも影響を受けるため、体質的なものとは言い難い側面もありますが、家系の因縁でくくれば、さもありなん、となるのではないでしょうか。

家系的な因縁だけでなく、居住する住環境や人間関係、労働環境等も含め、すべて因縁の上に成り立っているのです。

このように因縁の中に私たちは生きて、暮らしています。
逆に言えば、縁のないものとは繋がらないのです。
自分と関わるものは、全て因縁から起生しているのです。

つまり、自身の身に起こること全ては、自分がその「因」を持っているから起きる、ということであり、理由なく起きているのではない、ということなのです。

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