因→縁→果 2

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因果応報と言うと、悪いことをしたら罰が当たる、と悪い意味で用いられることが多いですが、逆も然りです。
善行を重ね、徳を積めば、良い状況に置かれるようになります。
(放つ波動も上がる為、犯罪行為や事故から距離が取れるようになります)

とは言え、その良い状況が、個人の願望実現と直結しないので、善行を積もうという人が少ないのかもしれません。

ですが、ひとつ前に記したように、因縁というのは絶対的な法則で、誰もここから逃れることはできません。

原因があり、その結果として生じるのが因縁ですが、だからと言って、運命が決まっている、と考えるのは早計です。
元となる「因」を変えれば、先につながる「縁」や、さらにその先の「果」が変わるのですから。

望ましい結果や縁を得たければ、それに向けた行動を起こすことが始まりで、それが「因」になります。
行動なく、夢想したり、想像をしたりするだけでは、ただの妄想で終わります。

また行動を開始して「因」を作っても、すぐに結果が出るものではありません。

しかし行動を起こしたという「因」の種は、既に撒かれたものとして存在するので、そこから生じる「縁」がいずれ何らかの「果」をもたらすのは確実です。

その時を楽しみに、淡々と行動を続けていけば良いのです。

行動を起こす人の中には、他人を踏み台にしたり、他者を利用(犠牲に)した行動を選択する人がいますが、それは許されない行為です。
この場合、その人のたましいに最も効果的な時期と方法で懲らしめが来ます。

例えば、悪事で成功を収めたとしても、それは高みから突き落とす為だったりします。
悪事を働き、一時的に成功しても、やがてバレて落ちぶれるのです。

親の犯した罪の因果を、子どもが被る場合もあります。
本人に直接、返るのではなく、本人にとって最も効果的なところに出るのです。

悪いことをしても、すぐに罰が当たらないのは、最適なタイミングを計っている為です。

従って、叶えたい望みがある場合、後々、自身が辛い・苦しい思いをしたくないのであれば、他人を利用するのは絶対に止めた方が良いのです。

逆に利用された側で、相手に仕返ししたいと思うかもしれませんが、自らの手を汚す必要はありません。
必ず因果は相手に返るので、相手に対する感情は放念してしまうことが最善です。

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