守護される、ということ

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普通に社会生活を送っていれば、人間関係で大なり小なり、摩擦が生じることはあります。

本当に些細な出来事、例えば歩いている時に、小走りで横から追い抜いて行ったのに、抜いた途端に進行速度が落ち、抜いた相手よりも歩行速度が遅いことで、かえって進行の邪魔になる人に遭遇したとします。

抜かれた側からすれば、わざわざ追い抜いて、人の前に出たんだから、だったら小走りのスピードのまま行けよ!邪魔だよ!と毒づきたくなります。

追い抜いた方も、もしかすると意地悪な心情から、本当に人の邪魔をしたいだけなのかもしれませんし、追い抜いた途端に膝や足首が痛み、歩行速度を落とさざるを得なかったのかもしれません。

相手の真意は不明ですが、こんな感じで少しイラっとすることって、日常生活でままありますよね?

つい最近、立ち寄った神社に行った際、今朝、上記のようなことがあったんですよ、それでついイラっとしてしまい、嫌な気持ちになったんです、と伝えました。
すると、これは大難が小難になったことだから、と言われたんです。
それを受けて、私はなるほど、と思いました。

もしかすると、もっと面倒な人に言いがかりをつけられ、大きなトラブルに発展する可能性があったのかもしれません。
それが、軽くイラっとする程度で済んだのであれば、これはむしろラッキーな出来事になります。

そのため、あっそうか!守って貰えたんだ、私!と気付くことができました。
と同時に、日ごろのちょっとした嫌な出来事の中にも、大難が小難になった出来事がいくつもあったのかもしれない、下手をすると、小難が無難に転じた結果、何も起こらないで済んだ出来事もあったのかもしれない、と思い至りました。

嫌な出来事があると、ついつい気分が凹みがちになったり、怒りの感情になったり、自己憐憫な気持ちになったりしがちですが、でもそれは、大難が小難になった出来事だったのかもしれません。
何の出来事もなく、スムーズに事が運んだのは、小難が無難に済んだおかげだったのかもしれません。

その視点に気付くことが出来ると、嫌な出来事に対しても、感謝できるようになるので、感情って不思議です。
また何も起きなければ起きないで、さもそれが当然のように感じてしまいがちですが、その背後で守護する働きが起きていたのかもしれないことに気付けました。
となると、何か起きても感謝だし、何も起きなくてもそれに感謝することができます。

視点次第で、この世は天国にも地獄にもなるのだ、ということに改めて気付いた出来事でした。
現実創造をするのは自分、と言われますが、まさしく、この世を天国にするのも、地獄にするのも、自分次第、ということです。

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