波長(波動)について 3

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以前、波長についての記事を書きました。
(波長と波動を同じ意味合いで言っているので、波動と読み替えて貰っても構いません)

その際、自立し、自律した個でいることの大切さを書きました。
そして波長が合わなくなれば、不快な事態も未然に防げると書きました。

日本人の持つ文化的側面として、空気を読む、という同調圧力があります。
この同調圧力は、悪い風潮として語られることが多いですが、そもそも同調圧力に良いも悪いもなく、ただ現象を指して表現しているに過ぎません。

私自身、同調圧力という文言を過去記事において使用していますが、それは、学生時代は自分を殺して生きていた為に、覚えていることがない(記憶がない)理由を述べるために用いているだけです。

同調圧力が悪い意味合いで語られる時、それは大体において、自分と異なる意見や価値観を押し付けられている風を装い、被害者ぶって言っていることが多いです。
なぜ、ただ単に自分は違う意見を持っている、異なる見解を持っている、と言えないのでしょうか。

それは、被害者ぶった表現をすることで、自己責任を回避しようとしているからです。
自分は皆と違う意見を持っているが、その意見を通すことで生じる責任を回避したい、と思っているのです。
このような人は、全然、自立も自律もしていませんし、責任回避のその姿勢は、言い換えれば無責任なだけです。

従って、当然の帰結ですが、高い波長にはなりません。
似たような責任回避したい人とばかり繋がり、誰も責任を負おうとしないので、物事がいつまで経っても進展しません。
そしてそんな状況を、自分を棚に上げて、嘆いたりするのです。

一緒にいる人間(家族、恋人、友人、同僚等)との波長が合わなくなると、自然に距離が置かれる場合もありますが、軋轢が生じる場合もあり、どちらかというと後者の方が多いです。
そのためよくあるのが、相手がこういう風に変わってほしい、もしくは、これさえなければ…と願うパターンです。

自分自身は何も変わらずに、周囲が自身の望むように変わる——–そんな非現実的なことを夢想しては、現実化しないことを嘆く人が大変多いように思います。

そもそも自分自身の放つ波長(波動)が何も変わらなければ、人間関係はおろか、環境だって変わりません。
多少、神社仏閣に行ったところで、元の人間性が何も変わっていなければ、神様や仏様だって手助けできません。(気付きを促すことはあるかもしれませんが)

軋轢を避けるのではなく、しっかり正面から真摯に向き合い、自身の良心に恥じない行動を取るようにすれば良いだけです。
問題(軋轢)とちゃんと向き合う、と腹を括り、人事を尽くせば、どのような結果になっても納得できますし、自身が思った以上の結果が用意されることもあります。

納得できない状況に置かれ続ける原因は自分自身にあります。
いずれ逃れられない状況にまで追い込まれるのか、堕ちていくのか、それとも進化向上するのか、どこに向かうかは自分次第です。

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