津波の語り部バス

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宮城県に、南三陸ホテル観洋という温泉宿があります。
ここは新鮮な魚介類を使った料理と、太平洋を望む絶景露天風呂がウリのお宿ですが、もう一つ、東日本大震災の津波被害を案内する「語り部バス」があります。
この語り部バスは、ホテルスタッフの方が、ホテル周辺地域をバスで巡りながら、津波について、震災以前と以後、震災当日の様子などをお話しながら案内してくれるものです。

私はこのホテルに宿泊する目的の一つとして、この語り部バスに参加しました。
そして是非とも大勢の方に聞いてもらいたいと思いました。

東日本大震災に限らず、ニュース等で報道される災害関連情報というのは、全体の内のごく一部の切り取りに過ぎません。
そのごく一部にしか過ぎない情報を元に、個人の想像力の範疇だけで災害を捉えていたら、簡単に足元をすくわれてしまいます。

現実は、一個人の想像をはるかに上回るような悲惨な出来事が、次々と押し寄せて来るのです。
自然というのは、地球というのは、人間なんてちっぽけな生物を、いとも簡単に凌駕します。
人はなすすべもなく、目前で人が、どんどん死んでいくのを眺めていることしか出来ません。
そして思っていたよりも、自分の死が身近にあったことを思い知るのです。

私は以前、看護師として働いていたこともあり、一般の方より「死」に接する機会が比較的多い分、死が間近だったと思います。
おかげで、人は生きたように死んでいく、という言葉を実感を伴って理解することができています。
ですから私は、いつ死んでも後悔がないよう、日々を生きるようにしています。

そのせいかどうか、逆に私は生きることにも執着が薄いように感じています。
もちろん自殺などするつもりは毛頭ありませんが、たとえば今の時機であれば、仮に新型コロナウイルス感染症に感染した場合、療養に専念はするものの、それで死んでしまっても構わない、と考えています。
死にたくない、がないのです。

霊的真理が私の根幹にあるためかもしれません。
生と死の違いは、肉体があるかどうか、の違い程度の認識です。
肉体として死を迎えても、たましいは死なずに生き続けます。

それに私からすると、現世は十分に地獄絵図です。
私自身は手に職の人間なので、将来的にも健康である限り、個人の生活は担保されていますが、この先、社会はどんどん生き辛くなっていくでしょう。
経済苦や病苦が蔓延し、人心は荒れ、政府は機能せず、社会は混乱していくでしょう。
こんな未来が待っている世界なら、むしろ今、死んでしまった方が幸せかもしれません。

普段はこのように考えている私ですが、上記の語り部バスに乗車して思ったのは、突然、死が迫ってきたら、私は死にたくない、と考えるだろうか?ということです。
私は生きよう、もしくは、生きたい、と必死になるだろうか?
考えたものの、その時にならないとわからない、が正直なところです。

ともあれ、死を間近に感じられる体験は、生かされることへの感謝や、自身の生を充実させることへと繋げられます。
その機会の一つとして、機会があれば語り部バスに是非ご乗車ください。

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