2020年締めの旅

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2020年の10月以降、4度ほど関西方面に旅行に来ました。
元々、旅好きで、2~3週間毎にどこかへ泊りに行っていたので、それが関西方面に集中しただけとも言えるのですが、のんびり過ごす旅行ではなく、あちこちの神社仏閣に出向く旅行(これを修行という人もいる)だったため、振返ると、なかなかに忙しかったな~という印象です。

で、いろいろなところに出向いたお陰で、様々な発見や知見を得ることができました。

例えば、びわ湖には巨大な龍神が居て、もともと竹生島はその龍神に礼拝する為の場所だったそう。
それが時代の流れと共に弁財天が祀られるようになり、明治期の神仏分離令を経て、現在の形になったようです。

本当に大切な存在を護るためか、時の権力者から真実を秘すためか、存在が隠されているものもありました。
(私も最初は訳がわからず、段階を経ることで分かったことでした)

そして今回の旅行の最終日に、いろいろと頑張った自分を労いに、伏見の酒蔵小路で日本酒を飲もうと出向いたついでに、明治天皇陵にも立ち寄りました。
そこで明治時代の神仏分離令に絡み、当時の時代背景や政治情勢、その後の戦争の時代へと繋がる一連の流れを伺い知る機会にもなり、現地に行くことは大切だな~と改めて実感しました。

この出来事から、遠隔でもある程度、状況を把握することはできますが、現地に出向くことの重要性も再認識しました。

と、このように収穫多き旅でしたが、私が感知したこと、新たに発見したことや知見の詳細をここに記す予定はありません。
理由は、一般向けの内容ではないと考えるためと、以下の理由からです。

どのような場所であれ、複数人で同じ場所にいた時に、感知するものは、それぞれ異なります。
その理由は、人というのは、
①自身の放つ波動に応じたものを感知する存在であること、
②その感知したエネルギーを解釈する精度を上げるには、経験値を高める必要があること=学び続けることが大切であること、
と考えるためです。

つまり結論として、それなりの経験を経ていないと、私が感知した内容を真に理解してもらうことはできない、と考えるためです。
これが記さない、一番大きい理由です。

言語化が難しい(抽象的な)事柄を無理矢理、言語化すると、その時点で内容が真実から離れてしまい、陳腐な内容になり下がります。
(少なくとも私には難しいです)
そしてその言語化された文面を、読み手の持つ、それまでに得た知識や情報を元にして、内容が理解されていきます。
このように、言語化して伝えようとすることで、真実からどんどん離れていってしまうのです。

このように考えるため、私が経験した具体的な詳細は記しません。
詳細な内容は記しませんが、今の日本という国の現状は、過去からの流れを受けての「今、現在」です。

銀花という人間は一個人ですが、存在するためには先祖が居て、国土があって、自然の循環があって、あの世も含めた全ての存在があってこそ、成立し、今を生きています。
つまり、どのような存在からも切り離して存在できるものではなく、互いに影響し合って存在しているのです。

この先、世の中は良くなっていくことはなく、むしろ、どんどん悪くなっていくと思います。
景気は上向かず、病気の人は増え、弱肉強食の様がますます明らかになり、誰にとっても生きづらい世の中になっていくことでしょう。
でも私はどのような世の中になっても、自身の良心に恥じない生き方をしていく、と覚悟を決めています。

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