2021年春分以降

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これからは、これまでの価値観で居続けようとすると、それが許されなくなるので、だんだん辛くなっていきます。
拠り所となるものを、たくさん保有して安泰だと思っていたら、その拠り所となるものの価値がなくなり、拠り所としての意味を成さなくなるためです。

じゃあどうすれば良いのか、というと、自分以外の何かをあてにするのではなく、自分自身に価値を置く生き方をすることです。
そして逆境に陥ったとしても、刹那的になるのではなく、柔軟に捉え、その逆境を面白がって生きることです。

これはある意味、未来を明確に設定せずに、新しい生き方をしていく、ということになります。
想定していた人生を歩むのではなく、先行き不透明な現実の中で、全てを受け入れ、その上で前を向いて、楽しんで生きていく。
誰にも、自身にとって乗り越えられない出来事は来ないのだから、何が起きても絶対に大丈夫だから、と信じて。

私は行動派ですが、冒険は好みません。
そのため、暗中模索な中を進まざるを得ないのは、正直言えば苦手だし、どちらかというと不得意です。
これからの来るであろう未来について、見ないフリ、気付かないフリをしてやり過ごしたいのが本心ですが、現実は待ってくれません。

上記の内容のメッセージを受け取ったところで、共感できる人もいないから、誰にも話せないし…と思っていたら、私が受け取った内容と同じ内容のものを動画サイトで発信している人がいて、なんだ一緒か、と安心と残念が混ざった気持ちになりました。
ある意味、答え合わせが出来たけれども、私にとっても言うは易く行うは難し!なんです。

でもやるしかない。
たとえ苦手でも、不得手でも、この先、それしか幸せに生きられないのであれば、やるしかありません。

ということで、いきなりですが、神さまや仏さま方に好かれる生き方ってどんな生き方だと思いますか?
へりくだって取り入るのではなく、なれもしない聖人君子を目指すのでもなく。

私は以下のように考えています。
自分の出来ることや、差し出せるものを提供し、相手から感謝される生き方。
相手からの感謝を受け取り、それが自身の喜びとなるような生き方。

神さまや仏さまに好かれる生き方をすると、最終的になんとかなるので、何があっても大丈夫となります。

実際、私の現状は一つ前の記事に書いたように、耐え切れなくなれば、破綻するしかないような状況です。
その為、暗澹たる気持ちになることもありました。(今も大分薄れたとはいえあります)

でも神社仏閣において、そこに存在する方々と話しをすると、神さま方に好かれる生き方をすれば、最終的にどうせ大丈夫だから、としか言われません。
いろいろ話して、その場では納得するのですが、帰宅するとブレまくりです。(苦笑)

これまでであれば、到達したい目的地があり、そこへ至るための方策を考え、それを実行に移してきました。
でもこれからはそれが通用しません。

通用しないので、どれだけ考えたとこで正解は出ませんし、世の中は激動すると言うか、非常に流動的になるので、臨機応変に、柔軟に対処していくしかなくなるのです。

何が辛いって、具体的な行動レベルで、事前に出来ることが何も無いことです。
これまでであれば、メッセージを受けて、何かを備えたり、何かアクションを起こしたり、という行動がとれました。
それが、ない。
悲惨な未来イメージはあるのに、今、具体的に出来ることが、何もない。

足元が不安定なのに、神さま方を信頼して、自分にできる精一杯を尽くしながら、今を、日常を、丁寧に生きるだけです。
何か事案が発生したら、その都度、対処するだけ。

自身のこうありたい、を定めない生き方。
五里霧中だけど、神さまや仏さま方を信頼し、歩みを止めない生き方。
私自身、まだまだ鋭意努力中です。

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